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2007/07/16 (Mon)
2007/07/16 (Mon)
哲学の道の桜を寄贈した日本画家
哲学の道の桜を寄贈した日本画家・橋本関雪の住まいが白沙村荘橋本関雪記念館として公開されています。
大正から昭和にかけて京都画壇で活躍した日本画家、橋本関雪の邸宅兼アトリエを公開。
関雪設計で国指定名勝の池泉回遊式庭園には、石仏などの石造美術品が点在しています。
併設の食事処では名庭を眺めながら湯豆腐御膳や懐石料理がいただけます。
JR東日本では、「そうだ、京都、行こう」エクスプレスカードの特典で入館料が割引になります。
http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/spot/sp_hakusasonsou
また、『お食事どころ はしもと』では白沙御膳4,000円、懐石10,000円〜で、お食事もできます。
詳しくはこちらでhttp://gourmet.yahoo.co.jp/0005149495/M0026000347/
甘味処として有名な「きみ家(や)」寒天とえんどう豆に黒蜜をかけて食べる「豆かん」。
が有名です。
シンプルで素朴な菓子ゆえ、素材そのものと豆の炊き具合が命。
「日本に伝わる食文化を大切に」と願う当主が銀閣寺のそばで全国から訪れる客をもてなす。
“大人”が心からくつろげる甘味処です。
お店のサイトはこちらです。
http://www.interq.or.jp/japan/netkyoto/kimiya/
銀閣寺から若王子神社に向かう「哲学の道」から一本西側に外れた大通り沿い、銀閣寺から歩いて5分のところにあります。
地元の馴染みのお客さんによれば、オーナーは関東出身のために、関東発の「豆かん」が京都で食べられるというお店なのだそうです。
黒みつ、自家製寒天、塩味の赤えんどうに良質の材料が使われていて、お味の方も好評です。
哲学の道の桜を寄贈した日本画家・橋本関雪の住まいが白沙村荘橋本関雪記念館として公開されています。
大正から昭和にかけて京都画壇で活躍した日本画家、橋本関雪の邸宅兼アトリエを公開。
関雪設計で国指定名勝の池泉回遊式庭園には、石仏などの石造美術品が点在しています。
併設の食事処では名庭を眺めながら湯豆腐御膳や懐石料理がいただけます。
JR東日本では、「そうだ、京都、行こう」エクスプレスカードの特典で入館料が割引になります。
http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/spot/sp_hakusasonsou
また、『お食事どころ はしもと』では白沙御膳4,000円、懐石10,000円〜で、お食事もできます。
詳しくはこちらでhttp://gourmet.yahoo.co.jp/0005149495/M0026000347/
甘味処として有名な「きみ家(や)」寒天とえんどう豆に黒蜜をかけて食べる「豆かん」。
が有名です。
シンプルで素朴な菓子ゆえ、素材そのものと豆の炊き具合が命。
「日本に伝わる食文化を大切に」と願う当主が銀閣寺のそばで全国から訪れる客をもてなす。
“大人”が心からくつろげる甘味処です。
お店のサイトはこちらです。
http://www.interq.or.jp/japan/netkyoto/kimiya/
銀閣寺から若王子神社に向かう「哲学の道」から一本西側に外れた大通り沿い、銀閣寺から歩いて5分のところにあります。
地元の馴染みのお客さんによれば、オーナーは関東出身のために、関東発の「豆かん」が京都で食べられるというお店なのだそうです。
黒みつ、自家製寒天、塩味の赤えんどうに良質の材料が使われていて、お味の方も好評です。
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2007/07/16 (Mon)
2007/07/16 (Mon)
南禅寺から哲学の道を歩き
南禅寺から哲学の道を歩き、銀閣寺へ向かうというのが京都ツウでなくても定番中の定番観光コースです。
五山の送り火で名高い大文字山。
その麓を疏水に沿って、若王子橋から銀閣寺橋へと続く約2kmの散策路を哲学の道と呼びます。
琵琶湖疎水の両岸に植えられた桜はみごとです。
春や紅葉の秋には多くの観光客でにぎわいます。
哲学の道とは、哲学者・西田幾多郎がこの道で思索にふけりながら、散歩をしていたために「思索の小径」とかつては呼ばれていたものが、いつしか「哲学の道」と呼ばれるようになったとされています。
今では「日本の道百選」にも選ばれている有名な散歩道になっています。
道の中ほどの法然院近くには、西田幾多郎が詠んだ歌「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」の石碑があります。
春は桜を愛でながら、秋は紅葉を愛でながら、6月にはホタルが飛び交うなど、豊かな自然を満喫しながら、アカデミックな雰囲気にふけるにはもってこいのロケーションです。
また、哲学の道は西田幾太郎だけでなく、日本画家・橋本関雪にも深い関わりがあります。
この哲学の道の桜は日本画家・橋本関雪夫人が大正時代、橋本関雪がこの付近に住まっていたことから、京都市に苗木を寄贈したことから始まるそうです。
その頃の桜は樹齢の関係でほとんど残ってないそうですが、植え替えられ、手入れされ現在の桜並木になっているそうです。
そして、現在も橋本関雪にちなんで「関雪桜(かんせつざくら)」と呼ばれています。
南禅寺から哲学の道を歩き、銀閣寺へ向かうというのが京都ツウでなくても定番中の定番観光コースです。
五山の送り火で名高い大文字山。
その麓を疏水に沿って、若王子橋から銀閣寺橋へと続く約2kmの散策路を哲学の道と呼びます。
琵琶湖疎水の両岸に植えられた桜はみごとです。
春や紅葉の秋には多くの観光客でにぎわいます。
哲学の道とは、哲学者・西田幾多郎がこの道で思索にふけりながら、散歩をしていたために「思索の小径」とかつては呼ばれていたものが、いつしか「哲学の道」と呼ばれるようになったとされています。
今では「日本の道百選」にも選ばれている有名な散歩道になっています。
道の中ほどの法然院近くには、西田幾多郎が詠んだ歌「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」の石碑があります。
春は桜を愛でながら、秋は紅葉を愛でながら、6月にはホタルが飛び交うなど、豊かな自然を満喫しながら、アカデミックな雰囲気にふけるにはもってこいのロケーションです。
また、哲学の道は西田幾太郎だけでなく、日本画家・橋本関雪にも深い関わりがあります。
この哲学の道の桜は日本画家・橋本関雪夫人が大正時代、橋本関雪がこの付近に住まっていたことから、京都市に苗木を寄贈したことから始まるそうです。
その頃の桜は樹齢の関係でほとんど残ってないそうですが、植え替えられ、手入れされ現在の桜並木になっているそうです。
そして、現在も橋本関雪にちなんで「関雪桜(かんせつざくら)」と呼ばれています。
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2007/07/16 (Mon)
2007/07/16 (Mon)
哲学の道には若王子[にゃくおうじ]神社
哲学の道には若王子[にゃくおうじ]神社、大豊[おおとよ]神社、霊鑑[れいかん]寺、安楽寺など由緒ある寺社も点在しているので、観光スポットに足を運びながら、哲学の道が終わる頃には銀閣寺に近づきます。
銀閣寺は慈照寺(じしょうじ)が正式の名前です。
京都府京都市左京区にあり、東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院(相国寺の境外塔頭)。
通称、銀閣寺(ぎんかくじ)と言われています。
何故、銀閣寺と呼ばれているかというと、足利義政が造営した楼閣建築である観音殿を「銀閣」と通称することから、観音殿を含めた寺院全体を「銀閣寺」と通称しています。
この通称名は近世の名所案内記などですでに使用されているので、銀閣寺の方がわかりやすいことになっています。
また、金閣と通称される鹿苑寺舎利殿は実際に金箔が貼り付けられて、きらびやかで国内外にもあまりにも有名なので、銀閣も金閣同様、銀箔が施されていると思われていますが、この銀閣と通称されている慈照寺観音殿には銀箔は使用されていません。
銀閣と呼ばれる観音殿は国宝で、義政の祖父・3代将軍義満が建てた金閣と対比されて用いられる通称です。
造りは重層、宝形造、こけら葺で、平面は長方形で正面8.2m、奥行7.0m。
初層の「心空殿」は住宅風、上層の「潮音閣」は方3間(柱間の数が正面・側面とも3つ)の禅宗様(唐様)の仏堂という造りになっています。
特徴は書院造につながる和風の住宅風意匠が取り込まれており、東山文化の代表的建築物です。
鹿苑寺金閣は金箔を貼っているのに、なぜ銀閣には銀箔を貼っていないのか。
これについては「当初は名前のとおり銀を貼る予定だったが、幕府の財政事情のためにできなかった」という説と義政の隠居所として設計された観音殿には、元々銀箔を張る計画はなく、当初から木肌を露出させた現在の姿が義政の構想だった、という説があります。
慈照寺の庭園には多くの名石、名木があり、建材にも贅を尽くしていることや、当時の東山文化が茶道趣味と禅宗文化を基調にしたものであったことを考えると、当初から銀箔を貼る計画はなかった可能性が高いと言われています。
また、2007年1月5日に科学的調査によって銀箔が全く検出されなかったことが発表されました。
煌びやかな金閣に対して、わびさびの贅を尽くした銀閣の雪化粧は一段と美しさを引き出します。
哲学の道には若王子[にゃくおうじ]神社、大豊[おおとよ]神社、霊鑑[れいかん]寺、安楽寺など由緒ある寺社も点在しているので、観光スポットに足を運びながら、哲学の道が終わる頃には銀閣寺に近づきます。
銀閣寺は慈照寺(じしょうじ)が正式の名前です。
京都府京都市左京区にあり、東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院(相国寺の境外塔頭)。
通称、銀閣寺(ぎんかくじ)と言われています。
何故、銀閣寺と呼ばれているかというと、足利義政が造営した楼閣建築である観音殿を「銀閣」と通称することから、観音殿を含めた寺院全体を「銀閣寺」と通称しています。
この通称名は近世の名所案内記などですでに使用されているので、銀閣寺の方がわかりやすいことになっています。
また、金閣と通称される鹿苑寺舎利殿は実際に金箔が貼り付けられて、きらびやかで国内外にもあまりにも有名なので、銀閣も金閣同様、銀箔が施されていると思われていますが、この銀閣と通称されている慈照寺観音殿には銀箔は使用されていません。
銀閣と呼ばれる観音殿は国宝で、義政の祖父・3代将軍義満が建てた金閣と対比されて用いられる通称です。
造りは重層、宝形造、こけら葺で、平面は長方形で正面8.2m、奥行7.0m。
初層の「心空殿」は住宅風、上層の「潮音閣」は方3間(柱間の数が正面・側面とも3つ)の禅宗様(唐様)の仏堂という造りになっています。
特徴は書院造につながる和風の住宅風意匠が取り込まれており、東山文化の代表的建築物です。
鹿苑寺金閣は金箔を貼っているのに、なぜ銀閣には銀箔を貼っていないのか。
これについては「当初は名前のとおり銀を貼る予定だったが、幕府の財政事情のためにできなかった」という説と義政の隠居所として設計された観音殿には、元々銀箔を張る計画はなく、当初から木肌を露出させた現在の姿が義政の構想だった、という説があります。
慈照寺の庭園には多くの名石、名木があり、建材にも贅を尽くしていることや、当時の東山文化が茶道趣味と禅宗文化を基調にしたものであったことを考えると、当初から銀箔を貼る計画はなかった可能性が高いと言われています。
また、2007年1月5日に科学的調査によって銀箔が全く検出されなかったことが発表されました。
煌びやかな金閣に対して、わびさびの贅を尽くした銀閣の雪化粧は一段と美しさを引き出します。